山崎亮さん講演会
今日山崎亮さんの講演会があったので行って来ました。
ぎりぎりまで打ち合わせがあったので正直厳しいかなーと思ってましたが、行けて良かったです。
いや、めっちゃ良かったです。
これまで見聞きしたことのある内容から、延岡や海士町の新しい状況まで。絶え間なく感心と感動が湧き上がる1時間半でした。(ちょっとおおげさ)
なんというか、これまで、どこかで、ちょっと見失っていた、身近な所にあったはずの「生活」を、ちょっとした事をきっかけに手元に取り戻しながら(再発見または生み出しながら)活き活きと動き出していくダイナミズムは心に迫るものがありました。(生き生きと活き活きのどっちにしようかと迷ったら、どちらも生活の一部ですね。)
確か「studio-L」のLは生活(life)のLだったと思いますが、山崎さん自身これをネーミングした際、ここまで生活にダイナミックに関わていくことになるとは思ってなかったかも知れません。(新しいサイトにlife=生活のところが見当たらないと思って『コミュニティデザイン』を見てみると思いつきでつけたと書いてますねw)
絶えず感心しっぱなしだったのですが、今日大きく気づいたのは2点。
一つは、コミュニティデザイナーという呼び方について。
今日のお話でもコミュニティデザイナーと呼ばれるに至った経緯の話がありましたが、前から山崎さん自身はこう呼ばれることについてどう感じているのかな、と思っていました。
でも、最後「困難な状況になるほどデザイナーの血が騒いでしまう」というような言葉がありましたが、やっぱり「デザイナー」なんだなと思いました。
生活を取り戻していけるような状況を生み出すために、どういう手法をとったかという点で目からウロコが落ちっぱなしだったのですが、その部分はまさにデザインなんだと思います。
コミュニティをデザインするというとなんとなく上から目線と言うか、いやらしい感じがしなくても無いですが、そうではなくて、コミュニティが自立していくその状況を下からデザインしていってるのだと考えるとすごく納得がいきました。
コミュニティそのものに対してはデザインしていると言うよりはクリエイトしているという方が違和感がないのかも知れません。(コミュニティクリエイター?コミュニティビルダー?微妙かな・・・)
もう一つは自分の立ち位置について。
職業柄、山崎さんの話を聞く時には同じように状況をデザインできるようになるにはどうすればいいか、という視点で考えがちだたのですが、海士町の活き活きとした住民たちの話を聞いているうちに、自分はどっちかというとプレイヤーになりたいのかもと気づきました。
建築の話で行くと、(状況をデザインと言う意味もある程度は含みながら)そこでの生活の舞台を直接つくっていくような、その場で直接的にできる役割を果たしたいのだろうなと思いましたし、個人としても今の状況の中でどうやって人とつながりながら活き活きと生活をしていくのか、というのが大切なんだろうなと思いました。
状況のデザインはあの人やあの人やあの人なんかにお任せして、その状況の中で自分にしかできないようなプレイヤーになりたいなと。(たぶん状況のデザインみたいな役割はあまり得意じゃないし、あたりまえだけどみんなが山崎さんになっちゃったらそれはそれで問題)
後者の発見はけっこう僕にとって大きいような気がします。
今後「状況のデザイン」という部分に関心を持たないということではなくて、今後もゆっくり考えていきたいと思いますが、自分の役割として考えるとなりたいのは名プレイヤーの方なんだろうと。
そのためにもあの人やあの人やあの人なんかに期待しちゃいますが、名プレイヤーになることがその人達を支援することになるんだと思います。
うーん、なれるかなー・・・
まー、ぼちぼちがんばろ。っと思いましたです。