アネハ
あまりに問題が大きすぎて書ききらなかったけれども、傍観もできない。
憶測混じりで無責任な部分もあるが書いてみる。
○姉歯の構造偽装について
普通の感覚では恐ろしすぎてあんなことはできない。
カメラの前で淡々と喋る姿もあまりに不自然で狂ったものの犯行としか思えない。
というのが、最初の印象だった。
しかし、一人の(もしくは数人の)狂った人間の仕業ですませられない。
これに関わった多くの関係者は皆確実に違和感を感じたはずで、心のどこかで警報が鳴っていたはずである。(鳴らなかったとしたらそれは素人だ)
しかし、誰もが直接の責任は自分にはないとその警報を無視したのだろう。
それは、意図的というよりは身に付いた習慣で、気付かずに無視していたのかもしれない。
皆が警報を無視し、直接の責任者(姉歯)に責任をなすりつけていくうちにあまりにも問題が大きくなりすぎた。
今回、『茶色の朝』が現実のものになったように感じた。
カメラの前の淡々とした姿は、開き直ったというよりは、しでかしたことのあまりの大きさに気付き呆然とし、現実を直視することができなくなっている様に見える。
おそらく、犯行時、姉歯氏の頭の中では、自分ひとりが犯行を行っているという感覚はあまりなかったであろう。意識的ではなくとも『皆なんとなく気付いて見過ごしているのだから自分ひとりの責任ではない』と、「責任の感覚」は過剰に小さかったに違いない。
それが、突然責任として目の前に突き出されて事の大きさにはじめて気付いたということだろう。(単なる憶測)
なんか、子供のイジメに構造が似てる。
取り返しがつかなくなってはじめて気付く。
傍観者も自分には責任はないと思うふりをする。
似たような『なんとなく進行している重大なこと』は環境問題はじめいたるところにある。
そういう『警報』に対してあまりにも無頓着、自分の方ばかり見るのが当然な世の中はやはり寂しい世の中になる気がする。
大人のエゴでそういう寂しい世の中を子供に与えてはいけないと思う。(大人だけなら勝手にやればよい。)
あ、あと、この事件によって知らしめられたのが、
「建築士がいかに冷遇されているか」
ということだろう。
命を護り、社会をかたちづくり、時には感動を与えと、非常に重要な仕事であるはずだけれども、同じ国家資格の医者や弁護士に比べると・・・・
と言い出すと、愚痴になってしまう。
そういう重要性を知らしめる努力や勉強を怠っていたり、忘れてしまっていたりと原因は多分にこちら側にもある。
まぁ、なかなか喰えないのは確かだ。。
(これが本当に書きたかったことだったりして・・・)