B015 『2次元より平らな世界 ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴』

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2次元より平らな世界―ヴィッキー・ライン嬢の幾何学世界遍歴

イアン・スチュアート (2003/01/28)
早川書房



120年程前に『2次元の世界』という名著が出版された。
2次元の平面世界「フラットランド」に住むアルバートが異次元からの訪問者「スフィア」と出会い3次元の世界を旅するというものである。
著者のアボットは4次元を想像させるための導入として(当時4次元は最新の知識であった)まず、2次元の世界に住む人には3次元がどう見えるかを想像させたかったようである。

そして、『2次元より平らな世界』は一般向けの数学書で人気の高い著者によって『2次元の世界』の続編という形で書かれた物語である。

物語はアルバートの子孫であるヴィクトリア・ラインという女性の線分が、アルバートの手記を発見し、異次元の使者「スペースホッパー」を呼び出し、ホッパーとともに様々な幾何学世界を巡るという形で進む。
多次元空間から、フラクタル、トポロジー、射影幾何学、特殊相対性理論から超ひも理論まで物理の世界を含む様々な世界を巡る。
フラクタルやトポロジーあたりまでは馴染みがあったのでよかったが後半は僕の想像力がついていけないところもあった。
しかし、普段想像もしないようなことを考えるのは心地よかった。

僕は想像力をひとつのテーマにしたいと思っているのだが、こういう幾何学の世界は狂気にもにた想像力の賜物であろう。しかし、そういう想像力の入る余地はだんだん少なくなってきているのではないだろうか。昔は、幾何学や宇宙の問題・不思議が生活の中で当たり前の存在としてあったであろう。
しかし、今ではそういった想像力の入るような余裕が社会から奪われつつある用に思う。例えば「数学は生きてて役に立つの?意味ないじゃん。」というようなことを聞くとなんとなく悲しくなってしまう。

役に立つかどうかというと、役に立てようと思えば幾らでも役に立つに決まっているが、そもそも「役に立つかどうか」なんて疑問には意味がないと思うのだ。
ただ、それによって色々なものの見方が出来れば、それだけ生きている時間を楽しめるかもしれないというだけのことだろう。

「勉強は役に立つからしなければいけない」なんていうのが当たり前の前提のようになっているような気がするが、おそらくそんな前提のお勉強なんてたいして役には立ちはしない。

まぁ、トップの機関が例えば「円周率を3とする」ような馬鹿なことを考えるような国だから、そういった前提が常識になるのも仕方ないのかもしれない。
結果だけが重要で、その裏に隠れた部分にまで想像をめぐらすことには意味がないのだろうか。

幾何学とは何か、というきちんとした定義は分からないが、ゲームのルールとそのゲームの世界のようなものだろう。幾何学が宇宙や自然の観察と想像力の賜物であって、われわれのDNAに刻み込まれたものであれば、それはやはり極上の「決定のルール」になるのだろう。(もしかしたら、それは強すぎることもあるかもしれないが)幾何学がはるか昔から建築家に愛されてきたのも分かる気がする。





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