メンテナンスを容易にするために、てかてかとコーティングされた材料は、ウェットな材質やマットな質感に比べ何か足りない感じがするのはなぜだろうか。
(写真は単なるイメージ。京絵付ガラス)
ものには「時間」といった属性があるように思う。
ものに対峙したときに感じる時間の流れのようなもの。
それは質感に負う部分が多い。
てかてかにコーティングされたものは、同時に時間の流れまでもコーティングされてしまっているのではないだろうか。
メンテナンスフリーとはすなわち時間の凍結のことかもしれない。
そういう物質ばかりに囲まれていると時間の感覚を失いはしないだろうか。
また、それを逆手にとって、何万年の時を運ぶ氷河のようにあえて時間を凍結させるという時間の扱いもあるように思う。
何万年でなくても季節や一瞬の風景を閉じ込めると言うのでも良い。
季節や風景を生け捕りにするのは日本人の得意とするところだ。
建築的な時間の中に一瞬を閉じ込める。
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とても言い得ていると思います。
ただ、その背景は複雑で簡単には説明がつかないなぁ、というのが印象です。
それは時間の余裕が無いほど働いている日本人の気質であったり、風土であったり、輸入された文化であったり、物質の金額であったり、メディアやメーカーの作為であったり・・・
誰かの言葉だけで決めるのではなく、
自分で理解して動くこと
そういった大切なことからはじめたら・・・
それでも現実は厳しいでしょうね。
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あ~3行目が長すぎた、と
こんな小さなことに こだわる人間は
世の中にどれほどいるんだろう、と
ふと考えてしまいました。
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何事もゆっくりと一息ついてからはじめられたら・・・
かく言う僕もなかなかゆっくりとした時間の使い方がなかなか出来ません。
>3行目が長すぎた
となんとなく感じてもそこになかなか立ち止まれないですねぇ。
立ち止まれずに「えいや」とEnterを押して、軽い罪悪感を感じたりして。
そういう自分の時間感覚を正した生き方ができればなぁ。
うーん。うまく言えない。分かりますかねぇ?